ドイツ 農民戦争
小淵沢のフィリア美術館ケーテ・コルヴィッツの彫刻で農民戦争について
1524年マルティン・ルターの95ヶ条の論題から始まった宗教改革は、ドイツのあらゆる階層に影響を与えた。ローマ教皇と結ぶ神聖ローマ皇帝の集権化に反発する諸侯はルター派に転じ始め、没落しつつあった騎士たちは教会領を没収して勢力を回復しようとする反乱を起こし(騎士戦争)、教会や諸侯の抑圧に苦しんでいた農民も各地で反乱に立ち上がった。
1524年ドイツ農民戦争
西南ドイツのシュヴァーベン地方の修道院の農民反乱から始まった。賦役・貢納の軽減、農奴制の廃止など12ヶ条の要求を掲げ各地の農民に呼びかけたので、シュヴァーベン→東南のチロル→東北のチューリンゲン・ザクセンへと広る。
シュヴァーベン同盟(1488年結成)の諸侯は、農民軍の鎮圧に4月、ライプハイムで農民軍を襲い、1000人の農民を虐殺してドナウ川に投げ捨て、その後も各地で農民軍を各個撃破していった
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