JR上野駅谷中口からスタートします昔の測量は下記の方々が色々工夫したんですねぇ
このコースは下記のHPを作成しています、出版社の方に案内してもらいました
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/ot-main.htm google版:家族でめぐる地図測量史跡
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/meguri/tokyo2/tokyo2.htm




玉川兄弟の墓(聖徳寺):玉川上水開削者で有名な玉川兄弟は、束にした線香を竹竿にくくりつけたものや提灯の明かりを利用して夜間に測量をしたといわれます。
伊能忠敬墓・高橋至時墓など(源空寺) 「大日本沿海実測全図」、いわゆる「伊能図」を作成した伊能忠敬の墓の隣には、師の高橋至時墓なども並んでいます
几号水準点(金杉三島神社) 明治初期、イギリスの測量技術の影響を受けて「几号水準点」が設置されます。三島神社の玉垣石柱に刻まれたものは、今は敷石になっています。

正岡子規の地図(子規庵) 子規庵には、「一束の地図」という彼が愛蔵した地図の束が残されています。中には、手彩色された『松山』の地図もあります。
几号水準点(日暮里天王寺 柱石)一部破損していますが、柱石状の頂に「不」文字状がある、谷中浄名院と同形のものです。



以下は谷中墓地です。測量に関わって人以外にも有名な人のお墓が発見できます

木村信卿は、創生期の陸軍参謀局にあって地図作成に功績を残します。ところが、陸軍におけるフランス派とドイツ派の対立から「清国地図密売事件」の首謀者として職を解かれます。
川上冬崖: 明治洋画壇の重鎮川上冬崖は、一時陸軍省兵学寮で地図技術者に図画教育をします。教育を受けた測量師らによって、色鮮やかな「迅速測図」が作成されました。熱海で謎多い最期を迎えます。
岩橋教章墓: 幕末期、航海用沿岸海図の絵図方として活躍しました。銅版画や石版画の技法をウイーン地図学校などでまなび、帰国後は紙幣寮、内務省地理局勤務となり、多くの銅版や石版技術者を育成しました。
几号水準点(谷中浄名院 柱石) 谷中浄名院の几号水準点は、柱石状の頂に「不」文字状のものが刻まれた特異な形式のもので、とても風格があります。
村上島之允(秦憶丸)墓(王林寺)間宮林蔵の地図・測量の師。蝦夷地踏査によって、「蝦夷島地図」「東蝦夷地屏風」などを著し、アイヌの習俗の紹介や地図作成につとめました。
几号水準点(上野東照宮)上野東照宮の入口鳥居下に、平面形の几号水準点があります。篤姫のお墓もあり、今人気のようです
三等三角点「大学」(東大教育学部屋上) 許可なくして立ち入ることはできませんが、東大教育学部屋上には三等三角点があります。東大でも?一等ではありません。
一等水準点NO-17-003(東京大学赤門前) 赤門の前には、全国に約2万点設置されている高さの基準となる水準点があります。これは、二等です。
お昼も途中で食べたり・・・のんびりまわりましたが、それでも14時ごろには終了です
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